たまには‥書くか
w
こないだ会った友達も
びゅいん💨と訪ねてったサロンさんも
たまに行く大好きなカフェのオーナーと食事したときも
サロンに訪店してくれた営業さんも
み〜んな‥
『あけましておめでとう』
だった
コロナ禍になっちゃったしね
昔みたいに思い立ったらすぐ
!みたいなお出かけの仕方も
できなくなっちゃった
かといって全く出てないわけぢゃないんだけど。
行かなきゃならない場所もあるし
やらなきゃならないこともある。
こないだ誰かが言ってた。
『こっちは行きたくないのに
相手がわりと、平気でしょ!!の人がいて。
それを自分は行きたくないな‥って思っても、
え
来ないの?へェ〜‥来ないんだぁ〜‥。。。的な空気がやだ
』って。
それも‥わかる。
みんな価値観が違って、みんな自分の『普通』があって。
そんな温度差の中で私たちは生きてる。
正解がないから難しい。大変だƪ (゚´Д`゚)ʃ
今日はさ。
久しぶりだから。
大変だった日のこと、書く
今もそうなんだけど。
コロナ禍のわりには、毎日色々忙しくさせてもらってて
サロンもそうだし、相変わらず発酵ドリンクのお教室もぼちぼちやってて
こんな世の中だからこそ、健康や免疫の話に興味を持たれる人が結構いる
そんな毎日が続いて、めっちゃ忙しかった遡ること去年の秋
発酵ジュースのお教室を開催する側になりたい方がいて。
ちょうどレクチャーしようとしてた日。
兄貴から電話あって『オカンがダメだ。。。』って。
なんのこっちゃ?
前の日元気に診察だったんだよ。
地元の大きな病院で、長いこと診てもらってた先生に『うつ病』と診断されて
3年以上もめまいと吐き気に悩まされてたんだけど誤診で。
私が診てもらってる先生にお願いをして
往復で430キロの道のりをかけて、
実家からそこの病院に月1で通ってるオカン。
ず〜〜〜〜っと調子が良かったんだけど
調子いいのを過信しすぎて大事な大事な役目をしていたお薬を
『後でいいや』と勝手に判断して何時間も経過してて。
ついに‥倒れました
サロンで待つ私と合流した時には
バケツに顔突っ込んだまんま喋れませんでした。
診断は‥脳梗塞。
脳の半分が真っ白の写真を先生に見せられました。
あたしも忙しいんだけど
秋はうち、リンゴを発送してるから
全国のお客様が『今か、今か』と届くのを待ってくれている。
オカンも、そればっかり心配みたいで看護婦さんにうわ言のように
『リンゴが忙しいから‥私がいなきゃ‥』とずっと言ってたみたい。
オカンのことはあたしが一手に引き受けているので
次の日入院の手続き。
起き上がれてました。

あんだけ頭ん中真っ白なのに、言葉もはっきりしてて。
お口の悪いのは健在でしたw
先生と話し合って。
『1ヶ月は‥預からなきゃだな』って。
リンゴ。。。
どすんだ。
オトンはできない
兄貴たちなんてもっとできない。
やるしかねぇ。。。
実家に行ける日は朝6時から夜10時くらいまでリンゴを詰め詰め
送れる日は80箱も梱包した日もあった。

やればできるタイプなのですよ
ただそこに詰めればいい訳でもない。
ちゃんと選別して、大きさも色も重さもある。
昔お手伝いして覚えたわずかな感を頼りに詰めるしかない。
泣きそうになった。
オカンに毎日電話して『◯◯さんのは大きめにして』
『◯◯さんのはまだ送らないで』とか、細かい注文がある。
ゆうパックで送ってるから郵便屋さんが集荷にきてくれるんだけど
頑張りすぎて集荷の車が2台でも足りない日もあった。
姪っ子のkotoも『ね〜ちゃん。やるよ!』って言ってくれて
kotoは伝票と集計。あたしは発送。
そんなあたしをおねいさんが労ってくれて
お家入ればすぐ食べられるようにご飯の用意してくれて
ホント家族総出で乗り越えました
リンゴ終えて帰宅‥じゃなく
夜にはオカンの着替えを病院に持って行きます

よちよち歩きの練習してました
オカンはわりと経過も順調で。
リハビリも一生懸命頑張ってました。
脳梗塞のリハビリって大変らしく。
100から3とか7とかを引いて、それを歩きながら言葉に出したり
そこの病院は日常生活の練習もさせてくれて
毎日汗びっしょりになるまで頑張っていたみたい
オカンの検査には立ち合いしなきゃで待ち時間が長い時もあって。
同時に介護の申請もしなきゃだからソーシャルワーカーさんとか
ケアマネージャーさんとの話し合いもあったりして
お腹が空いちゃうことも多くて。
でもコンビニで済ませる食生活だけは嫌だから
色々探したり我慢したりしてて。
病院のあるそこの地域は私がリフレクソロジーの資格を受けたトコで。
SNSで繋がっていた先生がメッセージをくれて
『待ち時間長い時に行ってみて。美味しいよ
』ってお店教えてくれて。

こんなうんめぇの、食ったことねぇ
ってくらい美味しいお店を教えてくれて、
検査の待ち時間も楽しみになっちゃいました
そんなこんなで乗り越えた1ヶ月。
リンゴの発送も全部終わって、オカンはその年リンゴを触らず冬を迎えました
12月のお誕生日も病室で過ごし、
孫の『ハッピーバースデー部隊』が大きな声でテレビ電話で歌ってくれて
私と王子が差し入れたケーキでお祝いでした
そして無事‥退院。
そんなに愛し合ってたか?ってくらい、オカンはおとんの顔見て泣いて
そんなオトンも前の日床屋で散髪を済ませて
なんだか2人して感動の再会をしてました
オカンがこんなことになって。
サロンはなんとか乗り切りましたが、肝心なお教室!!!
今もそうですがお教室展開されたい方はたくさんいて。
でもありがたいことに、サロンは自分でやらなきゃだけど
お教室は‥仲間が助けてくれました

この良さはここでしか築けないと思います。
あたしも仲間をフォローしていこう。
ソウイウヒトニ ワタシハナリタイ
心からそう思いました
発酵ジュースのお教室に参加して
体の栄養素を学んだり、体質改善をしたい方。
そんな事を学びながら教える側になってお仕事のプラスαしたい方
随時募集中です
ややや。聞いてびっくりだったり、内容面白いのでぜひ
無事にオカンも出所して‥
少しずつ家の中の動きにも慣れるように頑張ってて。
あたしもちょこちょこ帰って様子見てて。
秋にできなかった事ばかりなとこにきて、今度は年末やお正月の用意で
オカンの頭ん中も忙しくて
体と気持ちが追いつかなくてイライラしてて。
そんな日の朝。
また嘔吐
うそしょ。。。
その日は年末。忘れもしない12月の28日。
病院と先生に連絡をすぐさま入れたら‥
『再発したかもな。ゆっくりでいい、すぐ連れてきて』
うそ〜〜〜〜〜〜ん
お正月を控えた年末。
また緊急入院となりました。

うちには実家にオトンもいる。
兄貴も横に住んでるけど、
かといって、おねいさんにばかり負担をかけるわけにもいかない。
あたしもお嫁に行ったからわかるけど
何でもかんでもお嫁ちゃんが当たり前!ってのは
ホント〜〜〜〜〜〜〜に大変な事。
そんな思いだけはさせたくない。
『お正月。お父さんを一人にするな』っていう王子の甘い言葉に乗って
年末からお正月にかけて、実家での生活が始まりました。

雪がね。お庭真っ白だった。
元旦にはオカンの輸血もあり
4日には検査。

とにかくとにかく、自宅から実家。
実家から病院と、行ったり来たりの生活でした
これ。

実家の近くのスーパーにお買い物行くとき、見つけた
オカンはそこからまた1ヶ月入院。
病院生活も慣れたもんでしたw
2月の頭。再出所。。。

もう入院しないでくれ
あたしが大変だ
お正月のお祝いと、オカンの出所祝いと

みんなが盛大に祝ってくれました
そんな年末とお正月から始まったあたし。
写真だけは撮りためてあるから
あんなこともこんなこともぶち撒いて行きますよ
オカンは‥
動きが鈍くなっちゃったけど
地元の信頼の置ける病院と連携をして
リハビリに行ったり、家のことも少しずつ頑張ってくれています。
お仕事関係の皆様には
思うように動けないあたしの状況を理解していただき
本当に感謝してます
オカンが疾患あるので、あたしがコロナになっちゃうわけにもいかず。
大規模な鬼ごっこをしている感じにも思いますが
雨ニモ負ケズ コロナニモ負ケズ
引き続きオカンを見守って行きます
また書きます
ばいちゃ